カテゴリー: 俳人・歌人

宇佐美魚目のお墓 追悼サイト

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宇佐美 魚目は、愛知県出身の俳人、書家。本名は和男。名古屋市生まれ、愛知県第一中学校卒。19歳のとき父・野生の勧めで俳句をはじめ、翌年より「ホトトギス」に投句、高濱虚子、橋本鶏二に師事。また「牡丹」「桐の葉」でも学ぶ。1954年、愛知県愛知郡鳴海町にて書道塾を開く。

鷲谷七菜子のお墓 追悼サイト

鷲谷七菜子は、大阪府出身の俳人。楳茂都流の舞踊家・楳茂都陸平と元宝塚歌劇団娘役の吉野雪子との間の長女。本名・ナナ子。生後7ヶ月で楳茂都流二代目家元の祖父に引き取られ、祖父母によって育てられる。1940年、夕陽丘高等女学校卒業。

金子兜太のお墓 追悼サイト

金子 兜太さんの残した言葉

「人に認められる能力を磨き、目をかけてもらう人がいれば、自分の目指す道を貫ける。」

安森敏隆のお墓 追悼サイト

安森 敏隆は、日本の歌人、日本近代文学研究者、同志社女子大学名誉教授。広島県出身。 専門は近代・現代の詩歌文学。斎藤茂吉と塚本邦雄研究。短歌結社誌「ポトナム」代表。「京都短歌」選者。現代歌人集会理事。全国大学国語国文学会常任理事。キリスト教文学会関西支部理事。

松平修文のお墓 追悼サイト

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松平 修文は、画家、美術評論家、歌人。歌人の王紅花は妻。

岩田正のお墓 追悼サイト

岩田 正は、歌人。妻は歌人の馬場あき子。 東京世田谷生まれ。早稲田大学国文科卒。1946年に早稲田大学短歌会に入会し、同年歌誌「まひる野」創刊に参加。窪田空穂、窪田章一郎に師事。1978年馬場あき子とともに歌誌「かりん」を創刊。朝日カルチャーセンター、角川短歌通信講座などで短歌を指導。

斎藤夏風のお墓 追悼サイト

斎藤 夏風は、日本の俳人。東京生まれ。本名、斎藤安弘。 早稲田大学法学部中退。1954年、山口青邨の「夏草」入会。1962年夏草新人賞。1965年「夏草」同人、編集人。1986年夏草賞。同年「屋根」創刊・主宰。2010年、第6句集『辻俳諧』により第50回俳人協会賞。

小笠原和男のお墓 追悼サイト

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小笠原 和男は、俳人。 愛知県碧南市出身。1939年岩田潔に俳句を学ぶ。石田波郷、石塚友二に師事。1969年『鶴』に参加、『飛鳥集』同人、1984年『初蝶』創刊に参加、主宰。『立羽集』同人。

稲葉京子のお墓 追悼サイト

稲葉京子は、歌人。歌誌「短歌」選者。 愛知県江南市生まれ。本姓・大竹。1952年愛知県立尾北高等学校卒。小学校教師となるが、体力がなく翌年退職。童話を書くようになり、与田準一の紹介で同人誌「童話」に入会。1957年『婦人朝日』に投歌、選者の大野誠夫の薦めで「砂廊」入会。

品川鈴子のお墓 追悼サイト

品川鈴子は、俳人。 愛媛県生まれ。神戸女子薬科大学卒。山口誓子の『天狼』に属して俳句、連句を行う。1994年俳誌『ぐろっけ』を創刊、主宰、「ひよどり連句会」主宰、俳人協会評議員。

尾藤三柳のお墓 追悼サイト

尾藤 三柳は、川柳作家。 東京生まれ。本名・源一。前田雀郎に師事。丹雀会同人などを経て、1975年から「川柳公論」主宰。よみうり時事川柳、サラリーマン川柳ほか新聞、雑誌、放送、公募川柳選者。日本川柳ペンクラブ理事長、全日本川柳協会相談役、川柳学会名誉会長ほか。

津田清子のお墓 追悼サイト

津田 清子さんの残した言葉

「俳句に道徳は要りません。教科書に書いてあるような常識は要りません。」

「俳句はあまり賢くない人のほうがうまく作れる。」

大橋敦子のお墓 追悼サイト

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大橋 敦子は、俳人。 俳人大橋櫻坡子の長女として、母の生地福井県敦賀に生まれる。大阪府立清水谷高等女学校卒。父に師事し、父没後の1972年、『雨月』の主宰を継承する。1979年句集『勾玉』で現代俳句女流賞受賞。『雨月』名誉主宰。俳人協会名誉会員。

古賀まり子のお墓 追悼サイト

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古賀 まり子は、神奈川県出身の俳人。横浜市生まれ。帝国女子医薬学専門学校在学中に結核を発病し、中退。療養生活の中で俳句を始める。1945年、水原秋桜子に師事し「馬酔木」入会。1952年、馬酔木新人賞を受賞。1954年「馬酔木」同人。30代に入ってより病状が回復し、医療活動に従事。